息子が一歳になり、殴り書きを始めた頃に山形の母から野菜クレヨンが届いた。曾孫の初めての絵手紙をきっかけにいつしか曾祖母と曾孫の絵手紙育児が始まった。野菜クレヨンは口に入れてしまっても安心安全な自然の材料。もちろん口にいれたけど美味しいものではないので( *´艸`)
庄内に帰省すると曾孫は曾祖母宅でひたすらお絵描き。油性太マジックなんて家では持たせてくれないので息子には刺激的。
油性のマジックは汚されたら消えないし…と思うのが普通だと思うけど、曾祖母はそんなことより曾孫の一生懸命な姿が優先だったのだと思います。今の息子の迷いのない絵の大胆さはこうして築き上げられたのだとおもいます。
3歳頃から様々な技法で遊ばせて絵手紙にも生かして楽しむ。時には造形作品にも挑戦し曾祖母へ送るようになりました。月齢に合わせた絵具遊びはあちらこちらが絵具まみれ。部屋の掃除も進まないけど家事より育児優先。新聞をとっていない我が家はいつも庄内の母にもう読まない山形新聞送ってくださーいのリクエストだった(‘ω’)ノ笑
絵手紙で大事にしたことは、四季を感じたときに制作と必ずお礼の絵手紙を何よりも大切にしてきました。いつの間にか息子も四季を感じるようになり、この花を描いて送りたいと言うようになっていた。そんな成長が何よりも嬉しい。
私が息子に絵を描いてみせる事はなかったけど息子の得意なハサミをつかって飛び出す絵本を作ってみた。もちろん幼児教育の経験も知識もない。こういうの好きなのかと言われたら嫌ではないかなくらい。簡単に言えばどんぐりに興味を持った息子を楽しませたかっただけの親ばか。
何故、絵を描かなかったかと言われたら…私が描けいたら息子は描いて描いてと描かなくなると思った。息子と同じ目線で同じレベルかそれ以下で一緒に楽しむお遊びだと思いながら進めていきました。親の絵の上手い下手ではなく、ただ同じ目線で楽しむこと。
載せきれないほどの絵手紙や作品のなかで曾祖母の制作意欲に活気だてられ今があることに感謝しています。
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